20年前の自分から手紙が届いた話

 この年末、20年前の小学生だった私から手紙が届き、「20年後の私は、何をしているの?」「けっこんしてるのかー???」(どちらも原文ママ)と聞かれた。

 この手紙実は、「なんか昔タイムカプセル的なものに手紙入れた気がするんだけど二十歳になっても来ないから開けられてないんかなー」と折に触れて思い出していたものである。二十歳になったら届くのではなくて、2020年になったら届くものであった。20違い。


 以下、中身の話と子どもの頃の思い出。


 「何をしているの?」のところには、「何をしていますか。」と書いたのを直した形跡がある。自分に対して敬語は不要と考えて書き直したのであろう。私の考えそうなことである。今何してるかというとなんやかやでちゃんと働いてはいるが毎日ゲームしてるとこは変わってない。あとアニメは全然見てない。エグザイルにハマってる。こんなところだよ。満足してくれたかい私。

 次に「けっこんしてるのかー???」についてだが、「誰と結婚してる?」と聞いてこないあたり、20年前の私は20年後の私が結婚している、という前提に立てなかったのだろうと推測される。この点について以下綴る。


 この手紙を書いた数年後、中学の授業で夏休みの計画ならぬ人生の計画を書いてみましょうというものがあった。私はとても困った。なぜなら、未来のことを知らないから。その時はたしか、周りが書きそうなことを書いてたように記憶している。周りが書きそうなことというのは、」だいたいこのへんで就職して、結婚して、子どもができて、このへんで死ぬ」、みたいな。

 私は計画を立てることが昔からできなくて、大人になった今もできないから計画性の必要な部署に配属されると死ぬ。「計画通りに行かなかったらどうすんだ」「そもそも計画通りに進むわけないから立てても無意味」というのが計画を立てられない理由2本柱である。計画柱壱の型・

無計画である。だから、人生の計画を書かされたあの時、「いやまだ中学生なのに未来のこととか全然わかんないんですけど」と困った私は、きっととりあえず周りに合わせただろうと思う。結果を提出したのかどうかは覚えてないけど、未来のことなんて書けるわけないじゃんと思ったことだけはよく覚えている。

 この授業の中で一番困った部分は「いつ死ぬか」という部分だ。「私が何歳で死ぬのかを私が決める? 怖すぎ。無理。」中学生の私はそんなことを考えたであろう。こちとら小学生の時から「いつか死ぬ瞬間の自分」について考えては泣き、今でも何歳で死ぬ予定かについては考えられない。決めてしまうと本当にその年齢で死んでしまう気がするから。自分の終わりを見るのは怖い。

 二番目に困ったのが、結婚だった。中学生の私は恋愛の先に結婚があるという前提で生きていた。しかし当時の私には恋人もいない、恋をしてもいない。この時点で恋人や好きな人がいればまだ書きようがあったのかもしれないが、いなかったので書きようがなかった。結婚している人(両親)を間近で見て育ったはずなのに、どうして自分のこととなると結婚のビジョンが全く浮かばないのだろうね。

 三番目が子どもを産む時期だった。これについては小学生の時から「授業参観に来た親が老けてたら子どもは嫌だろうから最低でも40代で子どもの授業参観に行くことを考えると30歳が限度かな」と考えていたのだ。小学生の私は何を根拠にかクラスメイトの親について若さで勝ち負けをつけていた。母が参観にきちんとした身なりで来てくれていたからか、幼馴染のお母さんが綺麗な人だったからか?今思えば子をきちんと扶養するなら親が何歳でも構わないのにな。なんでそんなどうでもいいことを考えていたんだろう。

 というわけなので結局「大学出て働いて20代で結婚して30までに出産、死亡時期は未定だけどとりあえず80とか90とか」とかいう人生計画ができあがった、ような、気がする。

 ではその計画の中間発表。

 現在結婚はしておらず、それどころか結婚をしたいとも思わず、また出産目標の30歳を過ぎたので今後子どもを産むこともないだろう。中学生の私が周りに合わせて描いた人生計画の通りには進まなかった。だから計画を立てるのは厭なんだ。

 

 最初の話に戻るが、20年前の私が、結婚してるかしてないかを聞いてきたのには安心した。してないよ〜とだけ答えたらいいんだもの。これが「誰と結婚して子どもは何人いますか?」とかだったら、「ごめん、結婚してないし子どももいない。」と謝らなければならなかった。私のことをよくわかっているな、私よ。ありがとう、簡単な質問で。

 

おまけ。

 現在の人生設計は、「50くらいになったら土地を買い平家を立てて余生に備える」のが目標です。できればそれより前に、冬寒くない家に引っ越せるといいなとも思います。